2023-01-01から1年間の記事一覧

宿善 の捉え方

以下の記述は(浄土真宗親鸞会)の宿善のとらえかたです。このような とらえかたでの浄土真宗の救いに めぐまれる事はありません。「自分の中に 有りもしない信心をこしらえる」に過ぎません。むなしく時は過ぎ 幻であった人生が 今終わり火葬場で白い骨の屑…

昔の夕顔日記に こんな事が書かれてあった (時は流れた✩.*˚)拙さは変わっておらずすみません

おめでとうございます (笑)昔、山も山さんという人が年賀状に「おめでとうございます」らしき事を親鸞会会長高森先生に書いたそうです。 不思議ですねえ、これでなぜか、下の弟子たちに囲まれて当時の正月から「パソコンをよこせ」と取り上げられてしかもアパ…

ずっと教わってきた考え方や価値観は死ぬほどふりはらっても変えられない 2

浄土真宗親鸞会という団体へ少しでも(たとえ1日でも)人は残念ながら多くは学生時代に関わったと思われる。その人なりに頭の柔軟な若い時だ。関わった人の中にも色々なタイプがいるだろう、テキトーな名前だけの幽霊部員、1年の時からスーツにネクタイとい…

ずっと教わってきた考え方や価値観は死ぬほどふりはらっても変えられない

小さい頃から、教わってきた ものの考え方は余程の事が無いと変えられない。そういう意味では、頭脳の善し悪しはあるのかもしれないと思う。見ていてそう思う。柔軟性というのだろうか。 歳をとると頑固になるというのは1つには脳が老化して違う角度からの見…

浄土真宗の信心について勘違いしている人

「今 信心を得たならば、悟りにやがて恵まれます」という部分を、 「今信心を得たならば今すぐ煩悩(私)が悟り(仏)の世界を明らかに(覚知)できます」 と、いうふうに勘違いしているのではないかという事です。このような理解だと、しきりにハッキリ体験…

口伝抄

覚如上人が、このように光明のはたらきとして宿善を語り、その宿善のはたらきによって往生の業因である名号を疑いなく領受する聞法の器として育てられ、信心を得しめられると、他力に依る獲信の因縁を強調されたのには、それなりの理由がありました。それは…

カルト教団の構成員の頭の中は核廃棄物より厄介

☆。.:*・゜驚きのカルト教団の構成員の破綻した文章 ☆。.:*・゜ ルパン)教学聖典は獲信に重要な部分を選び出して作られていると聞いています。それは本当の事であり、色々と詮索しても始まらないと思います。園児さんが厚薄と遅速は違うと例を出しました…

お聴聞とは✩.*˚(されたことの無い方々へ)

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ルパンさんは100万くれるのだろうか?

高森顕徹著『会報第五集』善導大師や法然上人が称名本願を説かれたのは『観無量寿経』下々品の往生に腰を据えて本願を見たからである。それは諸行に対して念仏の易行を説いたものであるから行々相対の法門という。親鸞聖人がその念仏為本より信心為本を勧め…

✩.*˚真宗高田派様からの言の葉✩.*˚

宿善 について 真宗高田派さんからのお返事が届けられています。 ✩.*˚読ませて頂いて、分からない所があれば質問してみましょう✩.*˚ 命題:親鸞聖人は「宿善」についてどのように述べられているか。結論:親鸞聖人は「宿善」について述べられていない。 命題…

宿善 ✩.*˚真宗高田派さんからの言の葉

お世話になっております、Abcです。 『蓮如上人御一代記聞書』末 二三三 「一、蓮如上人仰せられ候ふ。宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候ふよし仰せられ候ふ。」 「めでたい」も「ありがたい」も共に「滅多にない事だ」を…

『因果の道理』という言葉が『分かる』という迷い。

浄土真宗親鸞会というのは「宿善」という言葉で善(布施 勧誘)を積ませて拡大をはかるのであるが、その間違いは何度も指摘されながら直ることは無かった。 『蓮如上人御一代記聞書』末、二三三 一、蓮如上人仰せられ候ふ。宿善めでたしといふはわろし、御一…

「因果の道理」を利用した信心販売の霊感商法は統一教会と同じ手法

「因果の道理」を利用した信心販売の霊感商法は統一教会と同じ手法 とくに浄土真宗親鸞会という団体の構成員の頭の中は因果の道理でいっぱいになっている。また高森親鸞会会長は構成員から募集してまで繰り返し因果の道理の話をしたがり構成員は構成員で信じ…

ロクな聞き方をしていない高森親鸞会会員(浄土真宗のお話)

六道輪廻して、人間界に生まれながらすくわれなかった過去世を覚えていないのですか。肉体は来世に持っていけないから無理でしたね。 化城で安楽椅子に座っていても、宿善は厚くなりませんよ。 「三恒河沙の諸仏の出世のみもとにありしとき大菩提心おこせど…

如何ようにあらわしましょうか

浄土真宗親鸞会犠牲者様へ お世話になっております、Abcです。 如何ようにあらわしましょうか、「すごいですね」としか言えません。 さて、この「犠牲者」はこのようにも言われています。 「本願成就文を聴聞して、本願を信じて念仏すれば救われるのであれば…

ロクな聞きかたしていない(浄土真宗のお話)

○私は悪くないと言っている心が因果の道理を撥無する心であり、闡提の機なのです。聞けば聞くほど闡提の機に泣かされる事になりますが、このまま聞いていれば何とかなるだろうと思う心は、信心を先延ばしの未来にしようとする心であり、念仏したら救われると…

悪知識は難しい事を言う??(伊藤健太郎さんのお話)

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お念仏をよろこぶ声 うれし

お念仏をよろこぶ 声 うれし 直ぐちかくにあります 総合病院(名前は割愛)お念仏を喜ばれる方々が知らされてきました。 秋になりますと この地域は物悲しく空は ねずみ色になり 少しずつ冬へと季節が変わる けれども そんな中で お念仏を喜ばれるドクターの…

龍教房(専修寺派様)からの言の葉

☆。.:*・゜ なにが「『大無量寿経』には称南無阿弥陀仏の文は一ヶ所もない。」ですか、心穏やかにいられない私をどうかお許しください。 『大経』巻上 「{前略}一切の法を学して貫綜縷練す。所住安諦にして化を致さざることなし。無数の仏土にみなことご…

真宗聖教について (龍教房 専修寺様)からの大切なお話と原典にあたる姿勢

☆。.:*・゜☆。.:*・゜龍教房様のblog内容引用 『大経』巻下 について ~聖人の著作よりうかがう~ お久しぶりです、龍教房です。 あまり更新されなさ過ぎて、蜘蛛の巣などは貼っていますがそれを取り除く意も込めて更新させていただきます。 と言いますの…

龍教房(専修寺派様)からの言の葉

☆。.:*・゜ なにが「『大無量寿経』には称南無阿弥陀仏の文は一ヶ所もない。」ですか、心穏やかにいられない私をどうかお許しください。 『大経』巻上 「{前略}一切の法を学して貫綜縷練す。所住安諦にして化を致さざることなし。無数の仏土にみなことご…

能面の群れ

安心問答(高森親鸞会 脱会したい人へ)と題したブログに 長いこと張り付いて、ネット対策を気取っていた高森親鸞会の人間が虚しく取り残されているようである。彼らのやり方は常軌を逸している。外部の人の言葉をすべて悪と認識し、その独善的姿勢は世の中…

権仮方便と善巧方便(真偽検証さんから引用)

何度も何度も 繰り返し繰り返し沢山の人から言われて、やっと言葉だけ覚えた伊藤健太郎さん。 (伊藤健太郎さんは高森親鸞会所属 )言葉は覚えたようですが意味は説明出来ない。 引用開始)真宗では、方便について、善巧方便と権仮方便とが言われます。(1…

機法一体 (ふくわらい 〜伊藤健太郎 )

かの「親鸞会」という団体で有名な機法一体 これは 善恵房証空上人があらわされたとされていた、このことから紐解いてみても良いね。凝り固まった団体に籍をおくのは勝手だが、視野がかなり広がるに違いないだろうな。 伊藤健太郎という 団体の教学部長が話…

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり このことについて「大行」とは何でしょうか? 問題提起したいと思います。

不思議な共通点 偶然でしょうか

伊藤康善著『安心調べ』P142~P143善導や法然が称名本願を説いたのは、観経下々品の往生に腰を据えて、大経の本願文を見たのである。それは諸行に対して念仏易行を説いたので、行々相対の法門という。親鸞が念仏為本より信心為本を勧めたのは、大経そのもの…

周回遅れ (ウィトゲンシュタイン からのお知らせ)

オーストリアのウィーン生まれのユダヤ系で、イギリス・ケンブリッジ大学で教鞭をとった、20世紀最大ともされる哲学者ウィトゲンシュタイン。 彼の言語と論理の哲学は、その後の哲学のみならず学問全体、さらには現在あるコンピュータの誕生にも大きな影響を…

記憶の果て

私が最後に親鸞会を見たのは かれこれ20年弱ほど前ですからねえ。 大学1年の夏には既に関わっておらず実質半年の短い間だ。それからずーっと離れて35歳頃に40周年の行事かなんかで実家に帰るついでに富山に遠路はるばる行った事を記憶している。40歳ちょいか…

邪義 高森親鸞会会員 (高森会長を疑う事は本願を疑う事、と発言)

高森会長を疑う事は、本願を疑う事だと発言した。以下がその邪義↓↓↓ (HNルパン ) どういう心に助けると誓われているのか。それは、大安心・大満足の信楽の心に生まれさせるという約束です。無明業障の闇の心を破り、往生一定の明るい心。後生がハッキリし…

お念仏 ということ

夕顔 さまじっと待っていたら私の口からお念仏が出てきた、ということではないでしょう。さまざまなお育てをいただく中で、お念仏を称えようという心がおこり、お念仏を称えるところ、それは私が称えて往生成仏の因としていくのではなく、往生成仏の因となる…