記憶の果て

 

私が最後に親鸞会を見たのは かれこれ20年弱ほど前ですからねえ。

大学1年の夏には既に関わっておらず実質半年の短い間だ。それからずーっと離れて35歳頃に40周年の行事かなんかで実家に帰るついでに富山に遠路はるばる行った事を記憶している。40歳ちょいかなあ?既に除名を食らっているので、ざっくり5年と半年ほど在籍があっただろうか、、。最近ほとんど忘れていて定かではない。兎にも角にも40周年は物凄い勢いで誘われた記憶がある。20代に縁が無いのは結婚と出産もあったが三重県在住の私は、話をしに来た岸本聡子という講師に「高森会長に帰依はしない」「阿弥陀仏に帰依する」と言ったら呆れられて帰って行ってしまったという経緯があったからだろう。以来さほどに寄り付かれなかった。昔は少しでも縁がある人間に親鸞会の話を聞きませんかと言ってくる普通に怪しい新興宗教だった。あの頃は今のように個人情報にうるさくなく何事にも悪い意味でおおらかなものだった。新興宗教の勧誘も新聞勧誘も平気でドアホンを鳴らす。昭和が終わり平成が始まる頃というのは各新興宗教もまだ若かったのだろう。

     この団体で強烈に嫌われる時というのは、ざっくり言えば他人に話をして辞めさせるような行為をした時であろうな。相手が話を聞いて変わっていくのは私の責任ではない。私は 疑問やおかしさや、親鸞会よりマシな話を聞いた方が良いと主張しただけで決めるのは本人の自由というのは なんの世界でも変わらないと思う。

ともあれ、親鸞会というのは幾多の人生を飲み込んで存在しているのだが 中にいる人間はああみえて千差万別で、完全にイッちゃってる目の何を言っても変わらないまでになった人、傷ついて精神的に妄想が見えて(失礼だが統○失調症でないか)と思われる人、親鸞会を辞めてまでイッちゃって宗教そのものを毛嫌いする人(こういう人も自由に宗教を捨てれば良いと思ふ)宗教の無い 一般社会を善とする価値観で良いと思う。

ただ一般社会が良いものかどうかは保証はしない。村社会カルト、ママ友カルト、習い事カルト、政治カルト、会社カルト、つまりカルトという定義をしっかりしないと何処にでもカルトはあるから むしろ具体的に何をしているからカルトであると言うと分かりやすくなる。(カルト研究の雑誌 18年ほど前に読んだ中に書いてあった)そんなふうだから、コアな在籍期間が5年半とすると20歳からなら、8倍の時間が流れ、除名だー(私なんか除名にする意味はほぼ無い)あれから4倍の時間が流れてしまった。中学生活3年間、高校生活3年間のほうが余程中身は濃い。大学生活3年半(親鸞会に半年取られた)は、楽しい一般学生(よく親鸞会をやめた人が一般人という呼び方をするけれど、一般人だから素晴らしい等とは思わない方がいいな)一般社会は、これはこれで自殺に追い込まれるほど生きにくい事もある。だから難渡海は変わらないという事は分かっておかないといけない。私の個人の経験でいえば、幽霊会員の時より除名後は苦しくなってしまった。いや、一般社会でずーっと生きてきたから社会生活はなんとでもなったのだけど、親鸞会というのは不思議な組織で、はっきり嫌われて除名になるまでは 理屈は通る。嫌われているんだから。しかし、なぜだか分からないが大騒ぎをするので(ネットが特にだが)あれは神経やられましたよねえ。今となっては何だったのか、、、(笑)いや、ほぼ 私の記憶には親鸞会などという存在は ほんの小さいものなんだが、あの騒ぎよう だけが夏の花火のように残っている。

話をウダウダしても面白くないだろうから、今「辞めたいなあ」と思っている人は、さっさと自分でめんどくさくても 手続きして、やめた方が良いよ。

少なくともタダの在籍会員ならば、辞めた方がいい。「おかしいよね」なーんて人に話して万一 相手が疑問でも持ってごらんなさい、人が減るということは1番嫌がられますからね。悪いことは言わない、めんどくさくても自分で手続きして、さっさとやめるという事です。

頭がこり固まっている人は、日本語が分からなくなっていますから 心配しなくても何を言っても疑問など持ちません。あなたが「辞めたい」と話した程度では動きませんから大丈夫。

安心して辞めてください。

 

そもそも、今 どんな団体になってるんですかねえー。夕顔(人生消化試合 この私には何にもありません、従って よくわかりませんが辞めたから普通の人生が待っている訳でも無く命が永遠にある訳でもありません。躊躇して無駄に時間を浪費しているとあっという間に死に別れる人生である事には変わりはありません。)誰がどんな生き方をされていようと自由です。「かくあるべき」なんて言えるのは、まだまだ余裕なんじゃないかな。