☆。.:*・゜歎異抄は要らない 御文章を読め との 珍説☆。.:*・゜

歎異抄を否定的に言う人に浄土真宗を語る資格が無い

龍教様から頂いております大切な お言葉 🍀✨

https://youtu.be/clb1SSeWw8w 

歎異抄法然聖人である、親鸞聖人の教えでは無いのだと、頑なに言う1人の僧侶)

なもあみだ、なもあみだ
前回のコメントを「改行を入れての再アップ」ありがとうございました
「夕顔さんへ」とは記しましたが、いまこれを見ている方へのメッセージでもあります
少々、長いですがお読みいただけると幸いです

さて、とうとう「歎異抄はいらない」が出ましたか
外野から見てると「そこまで「いらない」と豪語するものを何を「解説書」まで作って流布していたのか」というギモンが出てきますが、「いらない」と言われる方は『おつとめ』も『大経』も「いらない」なのでしょうし「法然上人の教えは違う」と伝えるのですから『擇集』などは論外なのでしょうね。

以下は見慣れた文面です。よかったらどうぞ。

然、信本願不要他善、勝可念佛不善故。不可畏悪、礙彌陀之本願無悪故

信といふは「信心を要(かなめ)とす」これなり。信心といふは弥陀の本願信ぜよの縦令に乗ずるなり。
弥陀の本願と申すは、『大本』いはく「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。」{云々}「かの仏の名号」といふはすなはち「南無阿弥陀仏」なり。聖人子むごろにいはく「いま弥勒付属の一念はすなはちこれ一声なり。一声すなはちこれ一念なり。一念すなはちこれ一行なり。一行すなはちこれ正行なり。正行すなはちこれ正業なり。正業すなはちこれ正念なり。正念すなはちこれ念仏なり。すなはちこれ南無阿弥陀仏なり。」これなり。ゆへに聖人、『和讃』を製していはく「信は願より生すれは 念仏成仏自然なり 自然すなはち報土なり 證大涅槃うたかはす」と{云々}。信とはこれすなはち念仏成仏の名[ミナ]なり、知るべし。

親鸞、「彌陀可拯參為念佛」好人[源空御聖人御ことなり]仰蒙信以無別仔細

「弥陀」といふは、『銘文』にいはく「「言阿弥陀仏者」と申すは、「即是其行」となり、即是其行はこれすなはち法蔵菩薩の選択本願なりとしるべしとなり、安養浄土の正定の業因なりとのたまへるこころなり」と{云々}「為念佛」は「念仏して」すなはち称名の大行を修してとなり、われらが寺号「専修」は「専修念仏」より名をえたり、念仏を修して弥陀に助け参らすべしの召しなり。これを、「招喚の勅命」とも「他力回向」とも「弥陀本願力」とも{云々}

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なもあみだ、なもあみだ
 龍教