☆。.:知識帰命と 空気

知識帰命と空気 てなんじゃあ?だと思います。

これが関係しているのですよ。

まず、自分の所属している浄土真宗の団体や組織を思い浮かべてみてください。法話する人の話が全部分かるといふ事はありません。クローンではありませんから、分からない事が出てきて当然です。間違っているんじゃないの?と思ふ事も多いのではありませんか。

その時に「空気を読んで仰せの内容はかくかくしかじかこうであろふ」と、自分の頭の中で組み立てて理解する。

なぜならば怖い、解らないとは思われたく無い、仲間内からも良いように思われなければ居心地が悪いと思うからです。

浄土真宗とは聞いて聞いて聞き抜くのであると言ふわりには「空気を読みまくり忖度しまくる」

これを「深い御心」で片付ける。こういふのを「知識帰命」といふのですよ。さて、

私にご自身の領解をバーンと書かれて見て下さい意見をどうぞ、と言われる方が有ります。

これは普通できませんよ。だって物凄く賢い方ですから、その真似はなりません。

私は指摘はできません、と断ってから領解を参考に送り返します。ご沙汰です。この真似はなかなか出来ません。

私の場合は色々な場所であーだこーだご沙汰が始まる事がありますが、それはそれなりにプライドを捨てないと出来ないからです。

わたしのように、どうでも良き立場の人間ならば、ハードルは低いですが、自分の思うところや、教義の理解、そんな事をなかなか打ち出す事は出来ないものなんですよ。

知識帰命の悪いオジサンやお爺さんは老獪で、そういう姿勢をちゃんと狙ってきます。それが、「深い御心」といわれるものの超え難きハードルなのですよ。

浄土真宗は仲良しクラブではありませんよ、くどいですが浄土真宗ですよ、無常は迅速、今日の命の保証は無い、今聞かねば手遅れの場合だってある。たとえ浄土真宗のご信心に恵まれている人でも、空気でもって知識を崇めていたら知識帰命というのです。

(だからといって思いやりや助け合いが要らぬ)ではありませんよ。

空気と知識帰命に陥る訳が少しく 分かれば書いた意味がありました。

 

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ...