以下のブログのコメント欄より、私にとって貴重なやりとりを遺すものです。
私は頭の高い人生を歩いてまいりました。生まれ落ちてから小さな村のお山の大将で、担任には大層贔屓され(友人談話)好きなように自分で道を決められるのが当たり前なんど思っておりました。。我が身の信念なるもののまま良かれと思う事を行い、勉強が苦手な子には遅くまで一緒に居残りをし、水やりを忘れている子の代わりに水当番をやり、みんなが嫌がる草引きも自らやり、チーム戦となるとまとめ役を買い、学級委員に選ばれ、一体全体どんな子ども時代なのかという ありさま だったのです。。小さい時に植え付けられた自己肯定感は、しぶといものです。それがもっとも南無阿弥陀仏 から離れた所で迷っている事に 本当に気づかせて下さったのは、今振り返りますと私が勝手に「師」と呼ぶ 以下のブログ主でありましょう。しかし、この方は、絶対に教位に立つことは無いのです。お同行の立場を貫かれるのです。その信念もまた私の心を打ちました。(子ども時代に植え付けた、目的を持ち理想や立派な生き様をする人になろう、素晴らしい人間になろう)等と言うのは、実は如来から1番遠いという事を心底から知りました。それこそが、頭が高い。高上がりした姿に他ならないのです。
如来はそのような私には 出逢う事は無かったであろうと思います。
用管窺天記
(新作領解文の記事は引用できませんので当該ブログを直接お読みください。)
3 Responses to “「新作領解文」の「第三段、念仏者の生活」”
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- 釋郁華
2024年2月10日 10:53 PM
夫を亡くした時に林遊さんは「おとうちゃんの人生を讃える」という事を言われました。それは私が、如来様のお話は面白くないから新しい領解文の分かりやすい間違いを指摘して盛り上がっておられる僧侶があるのでしょうという内容のコメントをした時だと思います。1字1句は覚えておりませんが今になってみると、そうか讃えるというのはなんという素晴らしい事だったかと梯和上の文章から伺わせて下さった事に感謝致します。驚天動地の出来事に襲われて右往左往している情けない自分が如来様に本当に近くに会わせて頂く機会が増えたのです。この如来様を慕って会いに行くような私をおつくり下さっている本願力を讃えるとは、なんという素晴らしい事でしょうか。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
- 釋郁華
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- 林遊@なんまんだぶつ
2024年2月14日 4:04 AM
深川倫雄和上のお説教で面白い(林遊の場合は面白いと有難いは同義語)お説教がありました。
和上が門徒の家にお参りしたら、お仏壇にコップに入った水みたいなものがある。
和上が、ばあちゃん、これは何か?と尋ねたら、和上様、これは酒ですんにゃ、死んだ爺ちゃんが酒が好きだったので、と答えたそうです。
和上は、ほお、あんた方の爺ちゃんはまだ仏さまになっちょらんかい?と尋ねた。
婆ちゃんは、いや、そんなことは……と口ごもったそうです。
和上は、じいちゃんが酒を好きだったのはこの娑婆での話、今は浄土で仏さまになった爺ちゃんは酒なんか喜ばんじゃないか。
婆ちゃんは、それじゃ和上さんどうしたら良いんでしょう!と尋ねた。
和上は、浄土で仏さまになった爺ちゃんが好きなのは、婆ちゃんの口から出る なんまんだぶじゃ。仏さまになった爺ちゃんは、おお、あの婆が わしをほめて なんまんだぶをしてくれると、喜んでいるんじゃぞ。
仏様の好きなものは、仏さまの仰るようにするようにした方がよかろう、と仰ったそうです。30年ほど前の耳に残っているお説教ですが、これは『浄土論』の「口業をもつて讃歎したてまつる」の讃嘆門の意味を判りやすく説かれた話でした。
➡「讃嘆門」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%AE%83%E5%98%86%E9%96%80
➡「今日はあなたの誕生日」
http://www.hongwan.net/index.php/%E8%81%B4%E8%81%9E%E9%9B%91%E8%A8%98#.E4.BB.8A.E6.97.A5.E3.81.AF.E3.81.82.E3.81.AA.E3.81.9F.E3.81.AE.E8.AA.95.E7.94.9F.E6.97.A5なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
- 林遊@なんまんだぶつ