☆。.:*・゜一念覚知の異安心

浄土真宗新興宗教(高森親鸞会)の一念覚知の異安心

(wikiArcより引用)

まず一念覚知の問題であるが、親鸞会の会員(信者)の信心獲得の告白を窺って見る。

四月十三日、私の信は全く驚くほどに決定しました。この時をもって私は先生の信界に対して全く一点の疑いも持たなくなった。(顕正新聞十二号・富山青年部長、大島清氏)
十一月八口午後三時五分、御仏壇のランカンの角で、銀の棒が五分置きにキラキラ光り輝いて下さった不思議なる体験をハッキリさせて頂きました。(絶対の幸福・上・五八・谷口春子女史)
昭和三十一年八月初めて尊い御法座にあわせていただきました。それからは尊い善知識高森先生を深く信じ、求道一すじに進ませていただいたのでございます。中略 そして翌年四月二十七日朝から如来の本願に救われました。(顕正新聞五号・滋賀県 大森ふみ子女史)
昭和四十三年四月三日。この日が私の第二の誕生日なのだ。中略 高森先生という方は何とすばらしい助産婦さんだ。亀井勝一郎なんて問題ではない。払をこんな見事に誕生させてしまったではないか。(人生の目的を知った・一三四・浅倉保氏)

等と示すごとく、大島氏の体験記をはじめ、みな「信心決定」の年月日を明記するのである。そして、その信心決定の状態を述べて、高森氏はその著『こんなことが知りたい』のなかで、

阿弥陀仏の救いは一念でなされます。阿弥陀仏は「ひとおもい」で絶対の幸福にしてみせると誓っていられるからです。これを聖人は「一念往生」とか、「一念の信心」とも仰言っています。中略 他力の信心を獲ると、火にさわったようにハッキリするものである。(こんなことが知りたい・三三)

と述べ、信の覚知を強張するのである。もちろん信の世界は主体的体験である以上、自己の心相の上に「疑蓋無雑[3]」の心相がなければならぬ。しかし、主体的体験なるがゆえに、またその感応は各人別々で一論に統べることを許さぬものであることも認めねばならぬはずである。高森氏は、この火にさわったようにハッキリすることを宗祖の上で語るのに、『御伝鈔』上の第二段古水入室を述べるに、

真宗紹隆の大祖聖人、ことに宗の淵源をつくし、教の理致をきわめて、これを述べたまふにたちどころに、他力摂生の旨趣を受得し、あくまで凡夫直入の真心を決定しましけり」と記されています。法然上人の法話を聞いていられた時、たちどころ(一念)に他力の信心を獲得されたのです。(こんなことが知りたい三四~五)

と示し、たちどころ(一念)こそまさにその証拠であるとするのである。
 そして、その一念が本人の自覚の上にあるか否かの問に対して、

腹痛でコロゲ廻っていた者が名医の注射一本で激痛がケロリと治まった時、治ったことが本人に判るものか、判らぬものか、という質問と同じことですから答えるのも阿呆らしいというのです。判らない人は救われていない者だということは火をみるよりも明らかです。(こんなことが知りたい。三八)

と答えるのである。この立場は更に『教行信証』信巻における信一念釈に、

一念とは、これ信楽開発の時尅之極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり(真聖全・二の七一)

とある文を解釈して、『顕正』には、

信楽開発する初起の一念であるから無念無想である筈は毛頭ないから、やはり明かな自覚である。若し無念無想なら開発とはいわない。(顕正・九九)

というのである。高森氏自身は「私は一念を実時で語ったことはない[4]」と述べているが、いま列挙した一連の文、特に時尅の一念釈については、親鸞会における一念覚知説、もしくはその淵源になっているとの推考は当を得るものと考えられるのである。時尅の一念は、一は初一であるが、念は心念の義ではなく、まさに時尅なのである。宗祖におけるこの時尅の一念釈の義は、信益同時を示さんとするものであって、宗祖は同じく第十八願成就文の「即得往生」を解釈して、『教行信証』行巻に、

即の言は願力を聞くに由って、報土の真因決定する時尅之極促を光悶せるなり。(真聖全・二の二二)

と、一念と即とをまったく同義にされてある。よって、この宗祖の一念釈は、一念の時を自覚せよというものでないことは明瞭である。これに対して、高森氏は時尅の一念を「無念無想でなく自覚である」と信相、しかも「自覚」という意業運想の用語でもって説明せんとするところに、一念の時尅の覚知が言裏に要請されるのであり、しかもその一念の自覚が「火にさわったようにハッキリする」とか、「腹痛の病人が注射一本でケロリとなる、その時がわからぬでどうするか」というがごときは、直接年月日の覚知を論ぜずとも、聞く者をして、信心獲得の年月日の記憶に心を用いさせ或は心を運ばしめんとすることは蓋し当然といわねばならぬ。

 次に、その一念の信心獲得の相状(仕模様)について親鸞会の主張を考察するに、谷口春子女史は、『絶対の幸福』のなかで、

おどり上ったその時の喜びは、とても言葉にあらはされない、ロでいえるようなちっぽけなものではありませんでした。泉の如く救われた喜びが湧き上り、不思議不思議としか思えませんでした。そのようにして信心決定の身にさせていただいた私(絶対の幸福・下・一〇四)

と述べている。また高森氏自身四国での講演において、信心獲得のその時は、

釈尊親鸞聖人、蓮如上人が、「踊躍歓喜」「広大難思の慶心」「うれしさを昔は袖に包みけり、今宵は身にも余りぬるかな」と教えられているように、心も言葉もたえた天に踊り地に躍る喜びである(顕正新聞一二一号)

と語るのである。この高森氏の主張は、先の時尅の一念釈において、「広大難思の慶心」を解釈するに、

一刹那に湧き上る慶びを広大難思の慶心と仰言ったので、無量永劫の流転の絆をたち切られて、地獄一定が極楽一定と転じ変り、功徳の大宝海をただ貰いさせられ、不可称不可説不可思議の功徳が身にみちて下された時の喜びは、至心信楽己を忘るるというも愚なり。真に手の舞い足の踏むところのない大歓喜が起るのだ。(顕正・一〇一)

と示すのである。先に私は親鸞会の特色の一つに歓喜正因の主張を挙げたが、その指すところはここにある。だからとて、高森氏を含め親鸞会の著述等のなかには信心正因を否定する文はどこにもない。しかし今の解釈のごとく、初起の一念に「広大難思の慶心」が私の身口意の三業に発勤し、事実天に踊り地に躍る喜びであるとの主張は、逆説すると天に踊り地に躍る精神的肉体的に歓喜の相の無き者は、未だ信心決定ができていないということになり、歓喜の相の顕著なる人をもって信心獲得の行者とするに至るのである。
 宗祖においては「広大難思の慶心」とある「広大」とか「難思」とかの語は、「広大無碍の浄心[5]」とか、「難思の弘誓は難度海を度する大船[6]」とかに用いられるごとく、如来の救済の徳を示す言葉である。よって、いまも他力廻向の信心の徳の上から「広大難思の慶心」と讃嘆されるのであり、天に踊り地に躍るがごとき衆生の三業に発動した相について示すものではないのである。では、真宗において初起の一念に歓喜がないかというに、もちろん初起一念には歓喜がある。蓋し、初起一念の歓喜とは、本願招喚の勅命に疑い晴れた、即ち如来の勅命が私の心に印現した相をいうのである。これは歓喜といっても信心の異名であり、信楽の楽の字の意味である[7]
 さらに、蓮師の『御文章』一帖目の一に出す古歌を都度引用し、初起一念に三業に歓喜のある文証とするのであるが、この古歌を蓮師は自から解釈して。