十劫安心(こんな感じ)夕顔のメモ

親鸞会の方々は盗作しないでね。夕顔は高森会長に盗作された経験があります(笑

じっこうひじ 十劫秘事

 十劫安心などともいう。十劫の昔に阿弥陀仏が成仏した時、すでに衆生の往生も成就されており、これを忘れないのが信心であるとする理解。真宗における異安心の一。『御文章』1帖目第13通 (註 1102)、3帖目第8通(註 1148)、2帖目第11通 (註 1126)などに批判がある。(浄土真宗辞典)

wikiArcより引用

 

十劫の昔、夕顔の有様があまりにも酷く筆舌に尽くし難い、到底迷いを出離できないと見抜かれた法蔵菩薩様が願を起こされました。このような者を救うため、このような夕顔に成り代わり御修行をなさってくださいました。成り代わりの必要は夕顔が善どころか総てが罪悪、微塵の功徳も積めないどころか存在そのものが吸う息吐く息大無常の堕ちていくしか行き場の無い者だから代わって修行してやるしか無いのです。代わって修行させておきながらボサーっと他人事のように箸にも棒にもかからない。その御修行は(成就)して既に夕顔が救われると告げておられる。――――これは大変な事、有難い事です、

そんな事を聞かせて貰えば嬉しいです、忘れよと言われて忘れられるものではありません、やった!良かった!助かった!嬉しい!ご飯も喉を通らない程嬉しい、良かった 良かった、忘れよと言われても忘れぬ。付け足すもの(自力)は何にも要らなかった!――――

まあ、、お念仏はありがとうございますと、称えますけど