✩.*˚真偽検証さんに聞いてみよう 涙のPart 2 ✩.*˚阿弥陀仏は念仏称えよと仰っている

『行文類』では、大行について述べられた後、まず経文による引証がなされます。経典に無いことでは仏説とは言えませんから、称名がキチンと本願にあることを経典の上で証明されるわけです。ところで阿弥陀仏の名号を諸仏が称揚讃嘆することは、衆生に聞かせ与える、すなわち衆生に回向するために他なりません。そのように往生の行を回向することを誓われた願だから、親鸞聖人は第十七願を

往相回向の願

と名づけられています。そして、なぜ名号を回向するかというと、それは阿弥陀仏が本願(第十八願)において、衆生往生の行として称名念仏の一行を選択されたからだとして、続いて

選択称名の願

と名づけられています。諸仏称揚の願諸仏称名の願諸仏咨嗟の願、この三つの願名は本願文の上に明らかですから「名づく」と言われています。中でも諸仏称揚の願法然聖人が三部経大意で用いられている願名ですから、最初に持ってこられたのでしょう。しかし先の二つの願名は、本願の上では明らかではないが、「そうとも言える」という親鸞聖人の命名ですから「名づくべし」「名づくべきなり」と言われています。

選択称名の願」、この願名から見ても、

阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っている

ことは明らかです。称名は、阿弥陀仏の勧めです。


このように称名は阿弥陀仏が勧め、また第十七願の要請によって諸仏が勧める浄土往生決定の行業ですから、親鸞聖人は経文引証を終えたところで御自釈として

しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。

と仰っています。聖人が大行の定義を「無碍光如来の名を称するなり」とされたのは『浄土論註』讃嘆門釈からだと言われます。そこには

「かの如来の名を称す」とは、いはく、無礙光如来の名を称するなり。「かの如来の光明智相のごとく」とは、仏の光明はこれ智慧の相なり。この光明は十方世界を照らしたまふに障礙あることなし。 よく十方衆生の無明の黒闇を除くこと、日・月・珠光のただ空穴のなかの闇をのみ破するがごときにはあらず。 「かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲す」とは、かの無礙光如来の名号は、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。

とあります。阿弥陀仏が、大悲智慧の光明をもって十方世界を隈なく照らし、善悪・賢愚の隔てなく、万人をさわりなく救う絶対的な救済力をもっておられることが「尽十方無碍光如来」という名号に最も端的に表れています。その名号は、それをいただいて称える人々の無明(疑惑)の闇を破り、往生成仏の願いを満足させるというすばらしいはたらきをもっていて、よく成仏の因となるといういわれがあるというのです。阿弥陀仏の名号にはこうした破闇満願の徳があることを示すために、「阿弥陀仏の名を称するなり」ではなく、敢えて讃嘆門釈から「無碍光如来の名を称するなり」と表現されたのです。

尤も曇鸞大師は、無礙光如来の名号に破闇・満願の徳があることを教えられていますが、親鸞聖人は、名号がそのまま口に現れている称名に破闇・満願の徳があることを教えられています。それから

称名
=「最勝真妙の正業
=「念仏
=「南無阿弥陀仏
=「正念

と転釈されます。称名は浄土往生の正定業であると善導大師の称名正定業説を裏付け、これこそ念仏なのだと、観像でも観相でも実相でもなく称名を選択本願の行と教えられた法然聖人の真実性を証明し、これこそ南無阿弥陀仏のもつ徳、南無阿弥陀仏のなしたもうはたらきなのであると曇鸞大師の名号破闇の釈に由来する旨を述べられています。

このように疑いをまじえずに受け容れたことを信心と言います。南無阿弥陀仏衆生を喚び覚まし、衆生の帰命の信となりますから、称名破満の釈義の最後に

南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なり(南無阿弥陀仏 即是正念也)

と教えられています。称名から南無阿弥陀仏までは「」の字で転釈されていますが、ここは「」の字を用いられています。「正念」の語は行にも信にも通じているからでしょう。またこのことは、南無阿弥陀仏と称名することの他に別して信心は無いことを表しているとも推察されます。


ところで、なぜここに唐突に「正念」の語が出てきたのでしょうか。すぐに思い浮かぶ出拠は

なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ

という、二河白道の譬喩にある弥陀の招喚です。私はここから採られたのではないかと考えています。理由は二つあります。

一つは、称名は南無阿弥陀仏という本願招喚の勅命を称え聞くことであり、南無阿弥陀仏の仰せを受け容れて仰せに順うことの他に信心はないことを示す意図で用いたという理由です。称名、念仏と言うと、自分の功徳のように思ったり、「助けて下さい阿弥陀さま」を意味する呪文のように思われがちですが、それらとは質的に異なっていることを表しているのではないでしょうか。

もう一つは、明恵上人の『摧邪輪』にある論難の一つ、聖道門を以て群賊に譬うる過失に応答する意図で用いたという理由です。

『興福寺奏状』第二 新像を図する失などにあるように、法然聖人在世当時は、摂取不捨曼陀羅という絵図を用いて念仏を勧めるという教化がなされていたようです。摂取不捨曼陀羅とは、阿弥陀仏の光明は念仏の衆生のみを照らしおさめ、「顕宗の学生、真言の行者」「諸経を持し、神呪を誦して、自余の善根を造(な)すの人」には光明は逸れて横を照らしたり、元に還るという有り様で、一人として光明に照らされていないという絵図です。

恐らく聖道諸宗の怒りに触れ、悉く没収され焼かれてしまったのでしょう。現存する摂取不捨曼陀羅は一幅もないそうです。弥陀の光明は遍く十方世界を照らしてすべての者を救おうとされているが、念仏以外の余行を修めて自己をたのみ、本願をたのまない自力の行者を光明が照らしおさめることはない、二河白道の譬喩の通りであるということを「正念」の語を出して表そうとされたのではないかと個人的には推察しています。


法然聖人も親鸞聖人も善導大師の「散善義」三心釈を非常に重要視されており、法然聖人は『選択集』三心章に、親鸞聖人は「信文類」にそれぞれ引いておられます。それだけでなく、『愚禿鈔』のおよそ半分が三心釈の解釈であり、『浄土文類聚鈔』、『唯信鈔文意』、『一念多念証文』でもその一部が解釈されています。『唯信鈔文意』は聖覚法印の『唯信鈔』を、『一念多念証文』は隆寛律師の『一念多念分別事』を釈したものですから、聖覚・隆寛両師も三心釈を重視されていたことが分かります。

その三心釈の中、回向発願心釈に出てくる二河白道の譬喩は『選択集』、「信文類」に引かれており、親鸞聖人は「信文類」、『浄土文類聚鈔』、『愚禿鈔』、『一念多念証文』などで解釈もされているという非常に重要な譬喩です。『高僧和讃』には

善導大師証をこひ
 定散二心をひるがへし
 貪瞋二河の譬喩をとき
 弘願の信心守護せしむ


ともあります。この譬喩には、18願を弥陀の悲心招喚の喚び声として表されています。後に親鸞聖人は善導大師の文を引いたところで、南無阿弥陀仏という名号は本願招喚の勅命であると釈されています。その元になっているのが二河譬です。これについては別の記事にて書いていきたいと思います。