まったくの名無しでコメントがありました。初めて名前が空白のコメントを見ました。
そもそも浄土真宗の話の中での事なので、コメント内容はテーマとはズレていました。スルーも考えたのですが、私の勉強の為に書き残す事に決めました。
結論から言えば「差別」は分別智として扱うのが正解と記しておきます。
「浄土真宗辞典」wikiArc
ふんべつ 分別
Ⅰ 思い計ること。大乗仏教では、凡夫の分別を虚妄分別、妄分別などという。
Ⅱ 類別、分析すること。
Ⅲ 分け隔てすること。(浄土真宗辞典)
特に大乗仏教では「分別」といえば主に「虚妄分別」を指します。
「虚妄分別」
なお、井筒俊彦氏(1914~1993)は、『大乗起信論』を考察した『意識の形而上学』で、
「分別」は、少くとも現代日本語の口語的用法では、道徳論的含意の響を強くもちすぎるので、思想の純哲学的構造化を目指す本小論の本旨には適さない)。
(林遊さん紹介)