因果の道理✩.*˚wikiArcからみてみましょう

では、因果の道理を多方面からみてみましょう。

以下は、wikiArcから引用

おほよそ他力の一門においては、釈尊一代の説教にいまだその例なき通途性相[2]をはなれたる言語道断の不思議なりといふは、凡夫報土に生るるといふをもつてなり。もし因果相順の理〔因果の道理〕にまかせば、釈迦・弥陀・諸仏の御ほねをりたる他力の別途むなしくなりぬべし。そのゆゑは、たすけましまさんとする十方衆生たる凡夫、因果相順の理〔因果の道理〕に封ぜられて、別願所成の報土に凡夫生るべからざるゆゑなり。
いま報土得生のにあたへまします仏智の一念は、すなはち仏因なり。かの仏因にひかれてうるところの定聚の位滅度に至るといふは、すなはち仏果なり。この仏因仏果においては、他力より成ずれば、さらに凡夫のちからにてみだすべきにあらず、また撥無すべきにあらず。しかれば、なにによりてか「因果撥無の機あるべし」といふことをいはんや。もつともこの名言、他力の宗旨をもつぱらにせらるる当流にそむけり。かつてうかがひしらざるゆゑか。はやく停止すべし。(改邪鈔 P.939)

とある。

  • 〔…〕内は林遊が付加した。

いずれにしましても、高森親鸞会とはまったく違います。高森親鸞会浄土真宗に背けり