どれだけ言っても分からない、どれだけ言われたにも関わらず響かない親鸞会会員だとしても、それでも分かる時が必ずくる。以下は(飛雲さんのほんの1部引用)
(飛雲 さん引用開始)
「励んでそれを分からせ、他力の名号に向かわせようと、弥陀が仕組まれたのが十九願建立の願意である。」の根拠は全くありません。これと反する根拠ならいくつもあります。
(飛雲さん引用終わり)
何度も何度も指摘されてきましたよね。
でも、分からないのが親鸞会会員でした。
それでも 分かる人が必ずいます。
気付く事が出来る人がいます。
上の引用は、莫大な指摘のほんの1部です。
1つでも分かれば次々に分かってくる事はよくあります。