因果の道理(因果相順の理)ばかりを言ってる高森親鸞会に呪縛されていないでしょうか。
ゆえに悪いことが起こると自業自得の因果論を自他共に振りかざして納得し納得させる。(これは組織に従わせるには絶好の材料になっている)
高森親鸞会で扱う因果の道理はいわゆる通仏教 聖道門の因果相順の理である。つまり聖道門を振りかざして、どうだどうだと迫っている。
いつまで経っても何一つ分からないのは当然中の当然。
阿弥陀仏の「大悲の必然としての因果論」と、根幹が違う。このような有様だから一から出直さなければならない。
捻じ曲がってぐちゃぐちゃになってほぐれない独自教義を1度丸ごと捨てる必要がある。「そうでありましたか」と必ず分かりますよ。
高森親鸞会教義を捨てられない人は結構ですよ、各々が自分の問題として考えてください。聖道門の因果の道理を突き詰めて悟れる、と主張しているのと同じなのだから是非やって下さい。極めてシンプルな話です。
しかし、人生はいろいろ詭弁を使って勝他に溺れて、競って迷っている程に長くはありませんよ。
(wikiArc参照 文 夕顔)