親鸞会が勝手に「知識帰命」にすりかえた歎異抄の部分を紹介します

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ここの「総じてもって存知せざるなり」の部分を見て下さい。これは、高森親鸞会では「母ちゃんが分かり切ったことをきくと知らんわいね!」と言うではないか、それと同じだと説明していましたね。これは違います。

 

この、歎異抄第二条の 各々十四カ国のさかひをこえて・・・は高森親鸞会ではよく使いたがる御文です。

ここは何をおいても親鸞聖人のもとへ回答を求めて関東の同行が命懸けで駆けつけた場面が書かれています。

しかし親鸞聖人は関東の同行の問に「知らん」と仰った。なぜでしょう?親鸞聖人は関東の同行が、わざわざ自分の元へ来た方々にそっけなくされたのは「知識帰命」を恐れられたのです。

 

念仏に対して、十四カ国のさかひをこえた人に、知らんと言われた親鸞聖人。知られない訳はありません。

 

念仏に対しては、機の上からは十分分かっていたけれど、親鸞聖人は知らんと言われたのです

親鸞聖人に答えを聞いた関東の同行が知識帰命になるのを恐れられたのです。

 

なにもかも知られなかった訳がありません。それなのに真逆の解釈をして高森会長の元へ命懸けで行く事が素晴らしいという意図を持って法話をするのが親鸞会です。(故 近藤智史さんとの沙汰 テーマ善知識とは)

懐かしい文章が出てきたので、少し乱筆を直してアップします。