私は聞かせてもらう

文字が小さいので、原稿用紙にまとめていこうとしています。

その時は、アーカイブも含めて実名を抜きます。

 

浄土真宗において私は聞かせてもらう

死ぬまで。そんな立場です。

だからブログの文章は、わかる人にしか分からない書き方です。私のブログ上では。

アーカイブを好きな文筆に変える時は第三者にも分かる書き方をします。

 

まだ、骨格もありません。単なる私の記録みたいなものです。浄土真宗がテーマ

でないものは何冊かありますが、浄土真宗に触るとなると怖いですので

私の呟き程度しかできません。

 

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あれはもう15年も前になりますか、ゲスの極みみたいな事も言われましたしネットにも

書かれましたし。

 

しかし、そんな下らない話じゃあ無いんです。

ある高森親鸞会の、近藤智史さんという人がいましてね、

いくらの高森親鸞会の狭義と言っても彼は生半可な知識量ではありませんでした。

そんなもんと、ガチにやり合ってごらんなさいよ、頭が煮えますから、、、。

こねくり回されたらくたびれてボロボロ

沙汰をする事は当時、こんな酷いもんかと思いました。復習沙汰でなくて、本心から沙汰してみてください。誰とでも構いませんよ。

でも、いい勉強にはなりましたよ。「周囲はあさってのトチ狂った事で騒いでましたが..」

 

阿弥陀様ならご存知でしょうが、私には「抜け殻」さえもありません。何にも無いんです。

 

そして、それはまったく、変わりません。

 

阿弥陀様しかわかりませんが沢山のご縁のなかで、15年よりまだ先に話された瀧山さんの

言葉は強いご縁だったと、振り返り私が思うだけです。瀧山さんの言葉は文字でも短いですよ。

メール1行とか。そこに込められたものはとんでもないですが。

 

たまに「信心得るにはどうしたらいいですか?」と私に言われる方がありますが、気持ちは分からなくも無いです。

しかし、高森親鸞会で言っている所の信前の記憶はあまり定かでありません。

もどれないからです。

勿論、娑婆の事は覚えています。

 

何か聞かれたら、「なして私は答える事ができるんじゃろ?」

こんな程度です。

言葉にすれば必ず間違いですから、でもお相手が

真面目か、嘘か誠か程度はわかります。

たったそれだけです。

 

この世の誹謗中傷でわあわあ言っているのを見て

阿弥陀様の思案に勝てる顔は恐ろしいこっちゃ

と思います。

この世の怒りなんてのは、怒る人自身の宿題。

怒らしとけばいい。関係無いんだから。

 

高森会の人なら誰かとガチで、我が信心は

あなたの信心は、?と沙汰してみてください。

 

はい、はい、ばかり従うやら、我慢するでは

その場足踏みだとだけ書いておきます。

これなら通じますかね。