質問からして意味不明

映画『なぜ生きる』で、自ら命を投げ出した了顕を見ると、命よりも大切なものがあるように感じました。仏教では、なぜ人の命は尊いと教えられるのでしょうか。

 

→これが、追悼法要とやらの質問だそうです。

この文章の中に、二つの質問が羅列されているのが分かるでしょうか。

はっきりいって質問の意図もめちゃくちゃです。そこまて酷いか?酷いです。

 

(命より大切なものがあるように感じた)と、感じた事を言ってみたり、(なぜ人の命は尊いと教えられるのか)とたずねてみたり、こういう質問をし出すという事は、これまで聞いてきた話がめちゃくちゃだからです。頭の中で消化不良をおこしているので、ナントナーく、気に入られそーな、高森顕徹にも答えられそーな、「早い話が、何を高森顕徹が何を喋っても漠然と当たっているような感じのする、いい加減なもの」

 

こういう酷くいい加減な言葉で、浄土真宗でござると教義異安心をまきちらして来たのが浄土真宗親鸞

会です。

たとえていうならば、バレーボールとサッカーとスケートと卓球と水泳とバドミントンのルールをゴチ

ャゴチャにして試合しているようなもんなんです。

試合できませんよね?なーにしているかわかりませんから。

その、飛んだり跳ねたりすべったりめちゃくちゃの姿さらして頑張っています!と威張り散らして

いる姿、ちょっと鏡で見てみんしゃい。