児玉で思い出すこと 異安心で助かる訳なかろ?(呆)

夕顔の日記

 

私はこの人とは直接も間接も縁が無かった。児玉と聞いて「小玉スイカ(中身の黄色の小さいスイカ)」あとは、陸軍中野学校の母方から、どの児玉か、少し名前で聞いた程度で、その人物にゆかりがあるのかないのかも知らない。

 

陸軍中野では、真珠湾攻撃はアメリカに読まれていることを知っていた。有名な真珠湾攻撃である

 

別にいきなり奇襲が成功していたわけではない、ときいてはいた。たまらないのは、乗組員である。死にに行くと知らないで死にに行く。特攻隊とはまた意味が変わってくる。海路、家の方角に礼!をしたという。

 

しらないままで。このしらないままで、というのが高森会にそっくり、富山弁では爺ちゃんが「ぞっくり」と言ったもんだった。

 

 

陸  空 の中で一番強い賢かったのは海軍だと言ったが、結果は敗戦であるから日本全体は弱いのである。強ければ勝っているじゃない。婆ちゃんが私の結婚式の当日も「戦争は愚である」と言っていた。

 

よって、関係ない児玉と言う名前が、やや苦手、だが現代では知らない。恐ろしいのは陸軍中野学校の解散命令が出ていないことだけである。

 

中野学校の人が生きていたらまだ90代前後で、多数存在していると思う。父方は海軍なので、

 

ばあちゃんが「なんで3年も師範行って昭和19年で赤紙か!」こういった、まわりに止められながらも喚いた女性は結構いたんでないだろうか」

 

生きていたら、当時の様子やなぜ田舎から富山市へ出たか。なぜ殺されなければならなかったのか。模範的で勉強の前には必ず田んぼを手伝い土蔵の中で蝋燭の灯で勉強したという、それが学習だと思っているから今の受験技術には辟易している。そういえば梯實圓先生も駅舎の灯りで学習されたという。

 

児玉についての予備知識はほぼ無い、ほとんど無いのと同じだ。なにゆえ、近藤智史さんは児玉さんの名前を出したかは知らないが、近藤さん?この方は、どうせよと?と天を仰ぐ。高森会、真実あることなしですからね。「譬え異安心と言われようとも高森先生です」中山講師、すでに忘れているどうでもよき存在なんだけど、異安心で助かる訳なかろうて!!!