19願の入り口にも入ってないって、なあんだあ?

夕顔の日記

 

子どものころを思い出してみてください。まあ高森親鸞会の人は小さいときからお勉強でもしていましたか? でも少しは経験あるでしょう。いくらやっても疲れない経験。遊んでいるときや、ドッジボール大会、勉強だってやりたい!と思っているときは、疲れましたか?心地よい疲れはあったかもしれませんね。

これが本当に楽しいということです。

 

ところが、なぜ高森親鸞会の連中は人が見ていないと疲れた態度なのでしょう。三重の9階のマンションに住んでいた時に、訪問してきた「中隊長」なるもんがいました。

 

ドアを出て帰るときに、マンションから姿を観察していましたら、がたっと肩を落としてさっきのパワーはどこへやら、下を向いてため息まで聞こえてくるような歩き方をしているのです。また目標にしぼられているんでしょうか?

 

なにが「あそこの蕎麦おいしかったよ!!」だ。大嘘つき。三重では、大幹部坂口さんが、また一つ終われば目標が来ると言いました。なんの目標かて、金ですよ。人数ですよ。

 

車屋さんがあんた「大幹部」の車はタクシーかというくらい走っていると言われたと言ってました。気の毒に、アッシー(古いですねえ)そのアッシーですよ。講師の車代金ゼロ。

 

 

疲れる理由でしたね、そう疲れるのは繰り返し巻き返し、穴を掘って埋め、また穴を掘って埋めの繰り返しみたいなもんだからです。

 

昔の拷問にあったそうですね。ついに気が狂って自殺するか、その穴に埋められたほうがマシだと考えるようになるんです、これ高森親鸞会が言ってましたよ?

 

意味の無い行為は疲れるんです。だから、いつも高森親鸞会の連中は疲れている。

 

1919191919191919191919191919∞ 悲しいねえ、最後は堕ちる ぼとん・・・

〇これが疲れる、意味がないということです。