大学時代の先輩後輩

夕顔の日記

 

高森顕徹が頭の上がらない人間がこの世で2人いる、一人は伊藤康善氏 もうひとりは

 

増井悟朗氏 です。

 

 

大学時代の恩師や先輩というのは後輩にとってはいつまでたってもそういう関係にあるものですねえ。

 

それはそれで、良しとしましょう。しかし、酷い仕打ちをしたのが高森顕徹です。師匠を追い返すんですから。それならば、わが子光晴を放り出しなさい。一度辞めたいと言って逃げたもんを嫁高森恭子がとっ捕まえて捕獲してくるならば。

 

 

堀秀行 主人は大変心配しています。このままだと、高森顕徹の子そのまた子そのまた子と食いつぶされますよ。自分で、それでいいと考えているのならば、勝手にしたらいいですが、その子やその子など何にも分かってませんからね。仏法の「ぶ」さえも。親もそうですが

 

いいですか、聴聞」と「宿善」はセットではないんですよ。「宿善」まかせとは、なんかやっていれば、貯まるようなもんでないですよ!

 

とんでもない勘違いがそこにありませんか?

 

このブログでは根拠は書きたくはないんですが、「罪のあるなしの沙汰をせんよりは、信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし」蓮如上人

 

 

別に、言いたかないですがこの御文も勘違いが多いですよね

正定聚不退の位に定まると、罪はさわりにならない。」命があれば罪はつくる。煩悩しかないから。さわりとならんというのは、無いも同じ、だから罪のあるなしの沙汰をせんよりは信心をとりたるか取らざるかの沙汰をせよ」罪があっても無いと思っても知らん、信心をとりましたか?

ほんとにもう、罪悪感責める御文でないですよ?あんたらそればっか。

蓮如上人のこの御文はこれ、機の深信です

 

堀秀行 主人が心配しています。信心はとれるんです、弥陀まかせすれば というと勘違いしてまた、どうやってまかせるのか?となりますが、そういうことが知りたければ、こっそり来なさい。私はパーだと思っているのだから主人から聞いたら良いでしょうが。

 

 

別に主人が助けるんで無いですけどね、そこは、しっかりしないと高森親鸞会のへんな解釈になりますよ。

 

大学の先輩と後輩と言うのはいつまでたってもそういう関係にあります。実際二人だけで主人に会ってその態度できる後輩いないじゃないですか!

 

二村さん、読んだら来なさいよ。私はあとに続く高校生ですから来てくださいませ、というべきでしょうか?言葉尻で、変わるならばなんぼでも変えますよ。

 

吉田さんは二村君には言わないでくれ、ぐらつくからと言ったので信じていわなかったら、本人吉田渉5年どころか9年目突入。約束破りの吉田渉。その貴方の思っている「どた牛」は動かないんですって。