浄土真宗はプライドや見栄にふりまわされていては聞けない

夕顔の日記

 

浄土真宗は不思議なもので、プライドの高い人

見栄のある人には届かない。

 

ところが高森会は、その見栄やプライドを最大限にくすぐってくる。

講師などもそうである。そんなもん、なんでも講師は簡単にはできないし、なんにもなくても先生と呼んでもらえる。大学中退の人でもひとたび講師になればせんせいである。そういうプライドをくすぐって、高森は講師を作ってきた。

 

本来の浄土真宗とはかけ離れたもの

である。

認められるためにはなりふり構わずがんばろうとする。

 

お金を集めたり酷いのになると最初は低い数字で活動をずーーーーっと続けて、最後にがばーーーーっと抜いてくる、これは、なにを隠そう「高森恭子の欺きの手法」である。

 

バカみたいに、ああ、低いなあなど思っていたらビリだったりする。だけど、よくよく考えてみてください、

こんなもんは、浄土真宗ではない。むしろ、浄土真宗は負けて負けて負けて、信を獲る。

 

そういう意味では高森親鸞会は、学歴のある人が多く、金持ちも多く、社会的にも、こんなもんにさえ捕まらなければ、ある程度成功していただろう人が多いので、なかなかに難しいと思う。

 

近藤智史さんみたいに、小さいときからバカになりたかった、などと言っているこの人は稀有な存在であったのだろう。