本願文を破壊する高森顕徹 法蔵菩薩様のご修行舐めとるの?

本願文の破壊 高森顕徹 とんでもないよ

私のPCでどこまで変換できるかわかりませんが、拝読していきたいと思います。

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法蔵菩薩が建てられたのが「四十八願」あります。
そのなかの「第十八番目の願」が、すべての衆生を極楽浄土に往生させると
言う願になります。「すべてのもののための願」で有るため、阿弥陀如来の一番の願いだったので、第十八番目の願を「本願」というのです。以下はその「本願文」と呼ばれているものです。
願は立てただけでは意味を持ちません。「その」願が成就しましたよ、という意味で
「本願成就文」があるのです。すでに成就しているんです。「成就」という言葉の意味はわかるでしょうか

設我得仏 
十方衆生 
至心信楽 
欲生我国 
乃至十念 
若不生者 
不取正覚 
唯除五逆
誹謗正法

浄土真宗は、この本願を聞くことから始まり
私たちは「仏願の生起・本末を聞く」ことが大事になります。
法蔵菩薩は十劫の昔に本願をすでに成就しておられます。私もすでにその救いの中にあるんです。それは南無阿弥陀仏の「名号」となってずっと働き続けています。(すでに救われているとは言っていませんよ)
そのことを疑いなく、いわれのままに聞いている状態を信心と言います。寝とるときは聞いていない、などとへりくつもいいとこで、私がわすれていても、ずっと働き続けているということを知る、アンテナをはってキャッチできるということです。
  聞即信 というのは「仏願の生起本末」を聞いて疑いの無いことです
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さて、高森顕徹の解釈を見てみましょう。

設我得仏 たとえ私が仏になりましたならば
十方衆生 十方の衆生
至心信楽 至心に信楽して
欲生我国 我が国に生まれんとおもうて
乃至十念 乃至十念せん
若不生者 若し生まれずば
不取正覚 正覚をとらじ(捨てます)
唯除五逆 ただ五逆と
誹謗正法 誹謗正法のものを除く

高森はすでに成就文で「成就」されている正覚を捨てると、解釈しています。
絶えまなく降り注ぐ名号を撥ねつけている者はいても、そんな名号を捨てると解釈するのは恐ろしいことです。

法蔵菩薩のご修行舐めとるの?