華光会にいた高森会長が間違えた決定的な場所

まさかとは思いますが、「米を目指していたら藁」まで取れたというたとえ話を知らない高森会会員はいませんね。

ところで、藁はこの世のしあわせ ではありませんよ。

「目的 目的と言って信心決定なんだ」
とデカい声で言っているのは「藁」ついでのもの

成仏目指していたら、たまたま藁までとれた、これが人生の目的 どうもこの世の幸せを目的にしているのではないかと思われます。

当然頼もしい人生が開けますが、煩悩の極致にいたる話ではありませんよ。

よほど不安なのか長南瑞生 たったひとつの不安をなくす方法て、どんな嘘よ。よう自分が知らないことを、そこまで図々しく言えるね。

その程度の話ならば、たっくさん世の中にあふれかえってますから。高森会にいる限りは不安の塊ですね。不安でも煽らないと金集めできませんもんね。それか、藁、煩悩の極致、幸せの極致、絶対の幸福 真珠が降る

 

華光会は高森顕徹が在籍し酷い仕打ちを自分の師匠にした場所です。富山に来られた伊藤先生を追い返したのですから。

さて、華光会は私も当然知っていますし、滝山さんはじめ嶋田さんには感謝しています。感謝がありますからこそ、申し上げますが、どこに「目的」をおいていますでしょうか?以前から気になっていました。「信心決定」ですか。

きちんと聞ける人ならば、間違えないでしょうが高森みたいに、「目的」を「信心決定」にしてしまうと、この世の利益がものすごく強調されます。だから、急ぎ浄土へ行きたいと思わないと言われると高森親鸞会の者どもは異安心など言い始めるのです。

「目的」の置き場所は、成仏であり、信心決定は、通過点です。信心決定はもちろん利益をもたらしますが目的ではない。

高森はだから当益の意味は全くないと言い切ったりできるのです。

高森はよく理解しないまま華光を出たか、華光の中心が「目的」を信心決定としてこの世の幸せを求めるということに頭がすり替わってしまうのか、それはわかりません。

ただ高森が間違えたことは確かです。