夕顔の日記 高森会はほんとに歎異抄読んでいるんですか?おおうそつき

 

 

ちょっと気になったので書いておきます。宮田さんの「信心決定しても往生はわからない」的な言い方ですが、別に彼は分からないわけはありませんよ。

 

単に機の上からははっきりするのは当たり前ですが、法の上からはわからん、という話ではないですか

 

ここがわからないから、高森親鸞会の勝手に思い込んでいる信心はドーパミン破裂か、宇宙の真理をまる貰いして土方のいうようにウハウハになるか、その程度のことしか考えてないから、だめなんですよ。

 

こんなことで高森とその仲間は、ほんとに歎異抄読んでるんですか?